FC2ブログ
起きている時に眠りを実現することが真理の実現だ。眠りの幸福に「私」(自我)は無く、目覚めの不幸に「私」がある。その「私」の源を探求せよ。(最終奥義)
2019-11-15 Fri 08:05
質問者「『私』という想念は【私】から立ち現れます。しかしそれでも私は真我(アートマン、真の私、内在の神)を知りません」

ラマナ マハルシ「それは全て精神的概念に過ぎない。

【現在のあなたは偽りの『私』、すなわち『私』という想念と自己同一化している】。

【この『私』という想念は立ち現れては沈みゆくが】、

【真の私はそのどちらをも超えている】。

【あなたの存在が途切れるということはあり得ない】。

眠っていたあなたが今目覚めているのだ。

【深い眠りの中に不幸は無かった】。

【ところが現在の目覚めの状態には不幸が存在している】。

今この違いが体験されているのは何が起こったからだろうか?

【眠りの中に『私』という想念は存在していなかった。
ところが今それは存在している】。

【真の私は明らかでないのに偽りの『私』が自分を誇示しているのだ】。

【あなたの正しい智慧を妨げているのはこの偽りの『私』だ】。

【偽りの『私』がどこから立ち現れてくるのかを見いだしなさい】。
【そうすればそれは消え去るだろう】。

【その時あなたはただ『あるがままのあなた』、つまり究極的存在として在るのだ】」

質問者「どうしたらいいですか? 私は今まで成功せず来たのです」

マハルシ「【『私』という想念の源を探りなさい】。
それが【為されるべき全て】だ。

【宇宙全体は『私』という想念ゆえに存在しているのだ】。

【それが終演すれば不幸も終焉するだろう】。

【偽りの『私』が消え去るのは】【源が探求された時だけなのだ】。

眠りについていた人が現在目覚めている。

【眠りの中には幸福が、目覚めの状態には不幸が存在している】。

【眠りの中に『私』という想念は 存在していなかった】。

しかし【今の目覚めの状態には『私』という想念が存在している】。

【私という想念の存在しない幸福な状態である眠りの中に努力は無かった】。

【修練の目的】は、【目覚めている今にさえ眠りの状態をもたらすことなのだ】。

【そのためには努力が必要である】」

スポンサーサイト



別窓 | Miracle Words | コメント:0 | ∧top | under∨
大自然を称賛するなら、それを作った神がもっと称賛されるのは当たり前。自然は神を悟るために活用すべきものであって飲まれるためのものではない。(奥義)
2019-11-14 Thu 08:04
「肉体と呼ばれる石化した地層においては、

【心という土壌を知性と呼ばれるツルハシを使って】、

【叡智(ジニャーナ)というダイヤモンドを発掘するまで掘りなさい】。

一度その貴重な宝石を手に入れたなら、それを自然界で、金で飾って身に着けても問題ない。

【叡智を輝かせるため、あるいは引き立てるために自然界を使いなさい】。
【それは無害な遊びである】。

しかしだからといって【自然界の餌食になってはならない】。

【自然界は神の衣としてのみ敬いなさい】」

 ―サティヤ サイババ


「ブラフマ協会(ブラフモサマージ)の人たちには、やたら神の栄光を数えたてるが、あれはどういうわけだろう?

『おお神よ、あなたは月をお創りになりました、太陽をお創りになりました、夜空の星々をお創りになりました』なんて。
どうしてあんなことをいちいち言う必要があるのかね?

たいていの人は庭を見て褒めるだけだ。

【庭の持ち主に会いたがる人は何人いるか?】

庭が素晴らしいんじゃない。

【持ち主が素晴らしいんだよ】。

酒を飲んでいい気持ちになったら、私は酒屋にどれだけ酒が置いてあるか勘定する必要は無いんだ。

私は一瓶あればそれで十分なんだから。

分かるかい?

人間は自分の富や力を自慢に思っているから、神様も富や力を自慢したいだろうと考える。

あのお方の豊かさや威力を褒めそやせば、きっとお喜びになるだろうと思うわけだ。

シャンブー(マリック。聖ラーマクリシュナの信者でカルカッタの富豪)がこう言った。

『私の財産を全部、神の蓮華の御足元に捧げきって死ねますように、どうぞ私を祝福してください』。

私はこう答えたよ。

『お前さんにとって財産は宝で命から二番目くらいに大事なものだろう。

それをあのお方に捧げるって?

【あのお方にとっちゃ、そんなものは皆、木ぎれ土くれ紙きれ同然なんだよ!】』」

「【社会生活をしていたら、なぜ神が掴めないのかね?】

【ジャナカ王は成功したよ】。

ラームプラサードは、【この世は『幻影のまやかし(マーヤー)のスクリーン』】だと言った。

だが、あのお方(神)の御足にしっかりとした信仰を持てば……、

『この世は楽しい遊び小屋。

私は食べたり飲んだりして、
愉快に遊んで暮らしていく。

ジャナカ王は偉大なお方。

不足のものとて何もなく、
こちらもあちらもしっかり保ち、

コップに溢れるミルクを飲んでいた』。

(一同爆笑)

けれども、一足飛びにはジャナカ王のようにはなれないよ。

【王は独りでたくさんの厳しい修行をしたのだ】。

【社会生活をしていても、時々は独りで住むようにしなさい】。

【世間の外に独りで行き、たとえ三日でも至聖の主を求めて泣けば、それだけで大変ためになる】。

【暇な時があったら、一日でもいいから、独りであのお方のことを考えるようにすれば、とてもためになるよ】。

【人は女房や子供のためなら瓶いっぱいの涙を流して泣くが、誰が神のために泣いている?】

【時々独りになって、至聖の主を礼拝しなけりゃいけないよ!】

社会生活をして、いろいろな仕事の真っ只中にいると、修行の最初の段階の人は、気持ちを集中させようとしても邪魔されることが多くていけない。

道端に生えている樹のようなもので、【若いうちは囲いをしてやらないと牝山羊たちに食べられてしまう】。

【初めの間は垣根が必要だ】。

【幹が太くなれば、もう垣根は要らない。そうなれば象を繋いだって大丈夫だ】。

チフスに罹っているようなものだ。そして、チフス患者の部屋に、水の入った大きな水差しと漬物の壺が置いてある。

もし病気を治したいと思ったら、それらを部屋から出して別の場所に移してやらなけりゃならん。

【世間の人々はチフス患者のようなものさ】。

【仕事や商売は大きな水差し、いろんな物事に対する欲は喉の渇きと同じだ】。

漬物のことを思い出すだけでも口に唾が湧いてくるんだから、そこに置いてあっちゃどうしようもない。それなのに、そういった品物に取り囲まれているんだ。

女との交際などは一番おいしい漬物だ。

だから、【一人にして治療することが必要なんだよ】」

「{{【永遠絶対(神、真我)に対面した後は屋根から降りてきてリーラー(相対)の世界に住む】。

【信仰を持ち信仰者と一緒に】。

これが【一番成熟した考え方】だよ}}」

 ―聖ラーマクリシュナ


「{{【普遍的な自ら(真我=アートマン)なる真の知によって】、

【あなたが初めにあなた自身を強くして】、

その後、富と世俗の真っ只中で生活するなら、

【間違いなく、それらは少しもあなたに影響を及さない】}}」

 ―ラマナ マハルシ


「逆巻き、泡立つ波が、ただの水でしかないように、

真我から現れ出る森羅万象も、

全て真我でしかない。


一枚の布きれを見てみなさい。

それはただの糸でしかない!

同じように、森羅万象も間近に見ればアートマンでしかない!


なんと素晴らしい!

私は私自身を讃える。

姿形を得たにも関わらず、

私は一なるものとして留まる。

来ることもなく去ることもない。

しかも全てに遍在している。


私は一なるものだけを見る。

人ごみに、無人の地に。

ならば、いったい何に私が執着するというのか?


師は心から解放された。

彼の心は自由だ。

この自由の中で彼は遊び、

ときには、山奥の洞窟に隠れて暮らす。


疑いを持たず、

真我と一つになった人の心は、
もはや自由を求めない。

彼は見、聞き、触れ、嗅ぎ、味わいながら、

この世で幸せに暮らす。


ただ真理を聞いただけで、
彼の心は無限に開かれる。

その気づきは純粋そのもの。

彼は努力や静寂を気にかけない。

彼は自分が無関心でいることにさえ無関心だ」

 『アシュターヴァクラ ギーター』(2‐4、5、12、21、18‐53、47、48)


「プラクリティ(物質の根本原質、自然)とプルシャ(霊、神人、精神源、生命)は共に無始であると知れ。

諸変異(ヴィカーラ)、諸要素(トリグナ)とはプラクリティから生じるものと知れ。


プラクリティは結果と原因を作り出す働きにおける根源と言われる。

プルシャは苦楽を享受することにおける原因と言われる。


というのは、プラクリティに宿るプルシャは、

プラクリティから生じるグナ(要素、性質)を享受するからだ。

彼が要素と結合することが、彼が善悪の子宮(ヨーニ)から生まれる原因である。


この身体における最高のプルシャは、

近くで見る者、

承認者、支持者、享受者、

偉大な主、

最高の自己(パラマートマ、神)と言われる。


このようにプルシャ(霊、神、生命)とプラクリティ(根本原質)とグナ(要素、性質)を知る人は、

いかなる境遇に生きていようとも、再び生まれることはない」

 『バガヴァッド ギーター』(13‐19~23)

※【プルシャ】(puruṣa)

→インド哲学用語。人間,男を意味するサンスクリット語。

『リグ・ベーダ』では原人の意で,これから一切万物が発生したと説かれる汎神論的原理。

サーンキヤ哲学では,物質的な根本原理プラクリティと対立する精神的根本原理を意味する。

ヴェーダーンタ哲学では一般的に個人我を意味する。

(ブリタニカ)


※【プラクリティ】(prakrti、prakriti)

→サーンキヤ学派は、純粋な精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティのふたつを実在するものと考えており、その片方にあたるものである。

サーンキヤ学派では、プルシャはあらゆる物質性を排した存在である、とされる。

それに対してプラクリティというただひとつの物質原理によりこの世界の物質的なものが生じた、とする。

存在論的に述べると、プラクリティは現象世界の根源的物質であり、現象的存在(個々の物)は全てプラクリティの変化によって生じたもの、とする。

そのため、pradhāna プラダーナ(= 第一原因)とも呼ばれる。

解脱論的に述べると、サーンキヤ学派はプラクリティは身体のあらゆる物質的要素を指すものとして用いられている。

同学派は、解脱とはプルシャがプラクリティ(全ての身体的要素)とは別の存在であることを認識すること、とした。

(wiki)


※【グナ】
→性質、要素。サットヴァ(浄性)、ラジャス(激性)、タマス(鈍性)。
宇宙のあらゆる物質の根本的な三つの性質。


別窓 | Miracle Words | コメント:0 | ∧top | under∨
一度口に出したことを守らない者は恥知らずで邪悪である。神は誠実な者の友である。(奥義)
2019-11-13 Wed 08:03
ジャドウ マリックは聖ラーマクリシュナ パラマハンサに自宅でチャンディ(カーリー女神=パールヴァティ女神)の歌を歌う催しをすると約束していた。
それからずいぶん経っているのに歌の催しは行われていなかった。

聖ラーマクリシュナ「誰だい? チャンディの歌を歌うのは」

ジャドウ「いやー色々用事がありましたもので、今日はできないんです」

聖ラーマクリシュナ「何てことだ!

【男の一言だよ!】

【紳士の一言、象の牙】。

(※象の牙は出たら引っ込まない)

【男の約束とはそういうものだろう?】」

ジャドウ「あはは、その通りです」

聖ラーマクリシュナ「お前は抜け目のない人間だよ。何をするにも計算高くて、バラモンの牛飼いみたいに少なく食わせてたくさん糞を出させて。

(バーラタ(インド)では糞を肥料や燃料に使う)

おまけに乳までジャージャー絞る」

(一同爆笑)

聖ラーマクリシュナ「分かったよ。

お前はラームジーヴァンプルの石のように、【半分熱くて半分冷たい性質だ】。

神様のことにも関心はあるが、世間のことにも関心が深い」


🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨


「私はあなたの業を知っている。

あなたは冷たくもなく、熱くもない。

むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。

このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、

あなたを口から吐き出そう」

 ヨハネの黙示録(3‐15、16)


「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。

ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」

 ルカによる福音書(16‐10)


「何であれ、誠実に、高潔な純粋さと平和な心でなされた行為は、善い行為である」

 ―ラマナ マハルシ


「【真理(サティヤ)は根本的な原理である】。

【全ての宗教は何人も自分が誓った言葉を破るべきではないと言明している】。

【人は自らの誓約を守るべし】、

【人は自らの言葉を命の息吹と見なすべし】、

【自らの約束を守ることは最も偉大な宝なり】。

これは偉大な法典の施与者、【皇帝マヌの最も重要な教えだった】」

「一般的な概念では、他者を非難し、侮辱し、身体を傷つけることだけが罪だと考えられている。

しかし、このような考え方とは違い、

【ある事を考え、その考えと異なることを発言し、更にはそれとは全く異なる行為をすることに罪があるのであり】、

その罪は、ほとんどの人が犯している。

この種の罪を断ち、

{{【自らの思い・言葉・行動を完全に調和させ、統一させたときにのみ】、

【人は完全な人間(プールナ マーナヴァ)と見なされるのだ】}}。

ウパニシャッドは宣言している。

『{{【偉大な魂(マハートマ)】とは、

【思い・言葉・行動を純粋にした者のことであり】、

【思い・言葉・行動がそれぞれ矛盾している者は、邪悪な者(デュラートマ)である】}}』」

「政治の世界では、言っていることと行っていることが異なっている。

【霊性は、思いと言葉と行動の一致を強調する】」

「【神は真似ごと(imitation、偽物、模造品)ではなく、真摯な姿勢(sincerity、誠実さ、正直、真心)を望んでいる】」

 ―サティヤ サイババ


「【誠実】に生きていれば【神様を掴むことができる】」

 ―聖ラーマクリシュナ

別窓 | Miracle Words | コメント:0 | ∧top | under∨
マハルシのナーマスマラナ。いつも神仏の名と姿に集中していることを瞑想と言うのだよ!!(奥義)
2019-11-12 Tue 08:01
質問者「瞑想において、聖典を読んだり神の御名を唱えたりしながら心の中に神の御姿を想い描くべきですか?」

ラマナ マハルシ「【神の御姿を想い描くことは瞑想に他ならない】」

質問者「神の御姿と共にマントラ(真言)の復唱、または神の属性について黙想するべきですか?」

マハルシ「【ジャパ(御名やマントラの復唱)が心の優勢を占める傾向にある時】、

【声に出して唱えるジャパは心の中で唱えるジャパになる】。

そして【それは瞑想と同じものなのだ】」


🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨🌹✨


「私のやり方は極めてユニークなのだ。

この話 一つを覚えておけば非常に役に立つ。

【真我(アートマン=真の私)についての認識を得るためにはディヤーナ(瞑想)が必要だ】。

【ディヤーナを絶えず行っていれば、ヴリッティ(心の波立ち) は鎮まる】。

【一切の欲望を捨て、あらゆるものに内在する神を瞑想しなくてはならない】。

【心が集中すれば目標に達することができる】。

{{【智識の権化】であり、

【意識】であり、

【至福】である、

【無相の私の本性に常に瞑想していなさい】}}。

{{【もしそれができなければ、ここであなたがたが昼も夜も見ている私の姿を、頭から足の先まで瞑想しなさい】。

【それを続けていれば、あなたの心は一点に集中し】、

【ディヤタ(瞑想者)とディヤーナ(瞑想)とディエヤ(瞑想の対象)の区別は失せ】、

【瞑想者は意識そのものとなり】、

【ブラフマン(絶対実在=神)と 一体となる】}}」

 ―シルディ サイババ


「【称名がたいそう尊くて力があることは確かだ】。

だが、【一心不乱にやらなければ、どうにもなるまい?】

【命懸けで神を慕うことが大事なんだよ】。

【口先だけで称名して、心では女と金のことを考えている。これじゃ、どうにもなるまい?】」

「ほら、ごらんよ。

【私はいつもマー(母さん=神)の御名を唱えているから、こんな甘い美味しいものが食べられるんだよ】(笑)。

あのお方(神)はね、ヘチマやカボチャなんぞはくださらない。

【あのお方は、甘い、甘い不死の果実をくださる】。

つまり、【ジニャーナ(叡智)】、【プレーマ(愛)】、【ヴィヴェーカ(識別)】、【ヴァイラーギヤ(離欲、放棄)】だ」

「【世間でいろんなことをしていても、心は神に預けっぱなしにしておきなさい】」

 ―聖ラーマクリシュナ


質問者「一人の時、イエスの御名を声に出して繰り返し唱えるべきですか?」

サティヤ サイババ「【あなたが祈りを始めて、まだ間もないうちは、声を出したり、小さく呟いたりする必要があるかもしれない】。

【しばらくすると、黙って唇を動かすだけで十分になる】。

そしてついには、【あなたの内なる声が、一日中、『イエス、イエス………』と呼んでいるのが聞こえるようになる】。

【このように聖なる御名を唱えることによって、あなたのバクティ(神への愛)は高まり】、

【神の平安がもたらされる】」

質問者「私が意識のそれぞれの段階を経て成長するのには、どれくらいの期間が必要ですか?」

サイババ「それぞれの人が、【自分が今すでにいる地点から、自分に合ったペースで】、

【神がその人に示す道に沿って】、

【自らの内なる衝動に促されて進まねばならない】。

あなたが【突如として神の栄光に飛びこむのがいつになるかは、神だけが知っている】。

【イエスは17年以上もの間、祈りと瞑想と、人類への奉仕の歳月を送った後に】、

【『私と父なる神は一つである』
と公言したのだ】。

【魂の成長は、短期間に成長するものではない】。

【毎日、同じ手順に従いなさい】。

【時間帯、時間の長さ、方法、姿勢を変えてはならない】。

【そうすれば、気を散らすものや、心の動揺を、容易に克服することができる】」

質問者「イエスの御姿を黙想するには、どのようにすればいいですか?」

サイババ「【イエスは言った。
『私が道である…』。
『私が門である。私を通って入る者は誰でも救われる』】。

【あなたの心を鼓舞するイエスの絵か写真を一枚選びなさい】。

【目の前の祭壇の上に、それを掲げなさい】。

【仕事場にイエスの絵を一枚飾っておきなさい】。

【どこに行くにも、彼の写真を一枚持ち歩きなさい】。

{{【あなたが朝起きた瞬間から、夜眠って意識を失うまで】、

【ほとんど自動的にイエスの御名を呼び求めている自分に気がつくようになったら】、

【あなたの持つ絵に描かれているイエスの御姿を黙想する準備ができたのである】}}」

(クリスチャンに)「{{あなたの想いが、イエスの御姿から離れて彷徨う時には、
【イエスの御名に焦点を当てなさい】。

想いが御名から離れて彷徨う時には、
【御姿を描き続けなさい】。

【心が100回彷徨うなら、
それを100回連れ戻しなさい】}}。

{{【その御姿が定着するにつれ】、

【だんだんと、あなたはイエスを実際に生きている存在として見るようになるだろう】。

【また事実、彼は生きている】}}。

{{【あなたは一日中、何があってもイエスを見て】、

【イエスが近くにいる温かさと愛に満ちた導きを感じるようになる】}}」

「【眠りに落ちるまでイエスを呼び続けなさい】」

※この御名と御姿の瞑想法は、全ての宗教の信仰者に適応可能。
仏教者は上の問答における「イエス」を、「阿弥陀仏」、「大日如来」、「弘法大師」などに置き換えて読んで良い。
神道の神や、マリアなど、他のイメージに関しても同様である。

「【神を想うことは、真我(アートマン)の至福を与える】。
水は地下にある。

地下水は地面の奥深くにあるが、井戸を掘って水を汲み上げることができる。

同様に、【ナーマスマラナ(神の御名の憶念)は、至福の水を汲み出してくれる掘り抜き井戸である】」

「ドゥルヴァはアンナマヤ コーシャ(食物鞘)だけを無視した。

{{【ドゥルヴァはプラーナマヤ コーシャ(生気鞘)で神の御名に溶け入った】。

【吸う息と吐く息に合わせて、ドゥルヴァは、【オーム ナモー バガヴァテー ヴァースデーヴァーヤ】と繰り返し唱えた】}}。

{{次はマノーマヤ コーシャ(心理鞘)だった。

ナーラダに説明された通りに、
【ドゥルヴァは心の中に神の御姿をはっきりと描き】、

【その御姿はドゥルヴァの心に焼きつけられた】}}。

この内的意味とは何か?

【ドゥルヴァは神の御姿を思い描きながら神の御名を唱えた】。

そして、【神の御名を唱えながら神の御姿を心に思い描いた】。

【御名と御姿】、

これが【ドゥルヴァのタパス(苦行、熱)】となったのである」

「【神の御名】が、【あなたがたのハートの内で鳴り響いているのを聞きなさい】」




質問者「ラーマ神やクリシュナ神の聖なる御名のジャパ(称名=繰り返し唱える)によっても、アドヴァイタ(不二一元)の真理は実現できますか?」

ラマナ マハルシ「できる」

「【どのようなプージャー(礼拝)も良いものだ】。

【オーム ラームや他のどのような名前も役に立つ】。

肝心なことは、【オーム、ラーム】、

【神という一つの思い以外の他の一切の思いを遠ざけることだ】。

【全てのマントラ(真言)、ジャパ(御名や聖なる言葉を繰り返し唱える)はその手助けをする】。

例えば、【ラームのジャパをする人は、ラーマ マヤとなる】。

【崇拝する者が、やがては崇拝されるものになるのだ】。

その時になって初めて、【彼は彼が繰り返し唱えていたオームカーラの完全な意味を知る】。

【我々の本質はムクティ(解脱=自由)である】。

しかし我々は、【我々が束縛されていると想像していて】、

【我々がその間中ずっと自由
であるにもかかわらず】、自由になるために様々な骨の折れる試みを行っている。

これは【我々がその段階に達した時にのみ理解される】。

{{我々は、【我々がいつも我々であったもの】、そして、(今も)【我々であるもの】を得ようと必死に試みていたことに驚愕する}}」

「あなたは【ジャパ(御名やマントラを繰り返し唱える)】【を試みたことがあるかね?

【神や神の本質などについて考えたことは?】

もしそれを【感覚を通して表現せずに】【心の中で熟考するなら(マナナ)】、【それが瞑想なのだ】。

【心が帰依の中に溶け去るほどに、それを熱烈に求めなさい】。

樟脳が燃え尽きた時、後には何の燃えかすも残らない。

【心とは、その樟脳なのだ】。

【心が何の痕跡も残さず真我(アートマン)の中に消え去った時】、

【それが真我実現である】」

「{{【ジャパ(御名やマントラを繰り返すこと)】は、

【それが天性になるまで行わなければならない】}}。

{{【初めは努力が必要だが】、
【後には自動的に行われるようになる】}}。

【それが天性になった時、それが真我の実現だ】。

【ジャパは他のことの従事している間でさえ行われるかもしれない】」

「【目を覚ました瞬間に、注意を怠らず、神(真我)のことをよく考えなさい】。

【一日中注意を怠らない状態を続けなさい】。

【神と共に在るように習慣づけなさい】」

「{{【名と形(御名と御姿)による崇拝】は、

【全ての名と形の向こうへ人を導く】。

【完全な献身は、ついには、至高の智識となる】}}。

{{初めは、バクティが世俗的な望みによって動機づけられてさえいても、

【望みが叶えられた時にバクティは止まない】。

【それは揺らぐことのない信仰によって増大し】、

【完全に成長し】、

【実現という至高の境地となる】}}」
別窓 | Miracle Words | コメント:0 | ∧top | under∨
神以外のものへの欲望は全て悪魔の罠である。
2019-11-11 Mon 08:35
「『ラーマーヤナ』で(神の化身)ラーマが森へ行く決意をした時、

【(妃の)シーターはラーマに従いたいと願い、所有物の全てを無償で手放した】。

【所有物への執着を捨てることによってシーターはラーマを手に入れることができたのだ】。

しかし、森の中で金色の鹿が欲しくなった時、シーターはラーマから離された。

※(これは陰謀で、鹿に惑わされたシーターは魔王ラーヴァナに誘拐されることとなった)

最初、【カーマ(欲望)を捨てた時にシーターはラーマと一つになった】。

このエピソードの意味は、

【あなたがカーマ(欲望)と結びついている限りラーマ、すなわち神を手に入れることは望めないということである】」

 ―サティヤ サイババ


「カーマ(欲望)のあるところにはラーマ(神)はいない。

ラーマがいるところには、カーマはあり得ない」

 ―トゥルシダス


「だから{{我々の意識が我々の意志によって満たされている限り、

つまり我々が様々な願望の衝迫とそれに伴う休みない望みや怖れに身を委ねている限り、

言い換えれば我々が意欲の主体である限り、

我々には決して【永続的な幸福】も【平安】も生じないであろう}}」

 ―ショーペンハウアー


「あなたがたは自分のために、虫が食い、錆がつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない。

むしろ自分のため、虫も食わず、錆もつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に宝を蓄えなさい。

あなたの宝のある所には、心もあるからである」

「誰も二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。

あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」

 マタイによる福音書(6‐19~21、24)


「{{俗世の富という虚しいものに欺かれた思慮のない若者には、【永遠の住処】へと導く道は明らかにされない}}。

『この世のみが実在する。来世などは存在しない』に堕ちる。

【そのように考えて、彼は再生に再生を繰り返し、何度も何度も私の牙にかかる】」

 『カタ ウパニシャッド』


「富の蓄積と感覚の快楽に執着し、その追求に右往左往する人々の心は、

真理を愛し【それ】に仕えようという決断が起こることはないのだ。


物欲、肉欲を全て放棄した人、

諸々の欲望から解放された人、

自我なく所有感をもたぬ人、

このような人だけが真の平安を得る」

 『バガヴァッド ギーター』(2‐44、1)


「貪欲な者は財産を得ようと焦る。

やって来るのが欠乏だとは知らない」

 箴言(28‐22)


「【執着が勇気を破壊する】。

【与える者には、いつも与える用意がある】。

【だが、受け取る者がいないのだ】。

【自由とは手放すことを意味している】。

人々は全てを手放したくない。

【死が不死の代価】であるように、

【無限なるものの代価が有限なるもの】だということを、彼らは知らないのだ。

【霊的な成熟は、全てを手放す用意のなかにある】。

【あきらめることが第一歩なのだ】。

【だが、真の放棄は、そこに何も放棄するものなど無いと悟ることだ】。

なぜなら、【あなたのものなど何も無いからだ】」

 ―ニサルガダッタ マハラジ


「{{【ただ一生懸命に祈ることだ】。

『【神様、世にも魅惑的なあなたのマーヤー(幻=この世)の力と富は、私にとって不要なものです】。

【私はあなたが欲しいのです】』}}。

{{【あのお方(神)は確かにあらゆるものの中にいらっしゃる】。

そうすると【神の信者(バクタ)とはどういう人をいうのかな? 

【あのお方の中に住んでいる人】、

【心も命も魂も全てあのお方に捧げている人だよ】}}」

「【本物と偽物を見分けることを識別という】。

{{【神のみが真実であり】、

【善であり】、

【永遠の実在である】。

【その他は全て偽りであり】、

【年中移り変わる頼りにならないものだ】。

【二日ほどしか続かぬものだ】。

そう理解することが【識別】である}}」

「【この世のものに執着している心は湿ったマッチ棒のようなもので、いくら擦っても火は点かない】」

 ―聖ラーマクリシュナ


「幸福とは何か?

【幸福とは真我(アートマン)の本性そのものである】。

【幸福と真我は別のものではない】。

【世界のいかなる物事の中にも幸福は無い】。

【無知ゆえに、物事から幸福を得るものだと思っている】。

【心が外に出ていくと不幸を体験する】」

「【もし、幸福が外的な原因と彼の所有物の結果であると人が考えるならば】、

彼らの幸福は、所有物の増加とともに増え、減少に比例して減らなければならない、という結論を出すことは道理に合う。

従って、もし、彼が、所有物を欠いているならば、彼の幸福は、無になっただろう。

【人の実体験】は、何だろうか?

【深い眠りの中で、人は、彼自身の身体を含めて、所有物を欠いている】。

【不幸どころか、彼は、全く幸福である】。

結論は、【幸福は、人の中に本来備わっていて】、

【外的な原因のためではないということだ】】」

「{{【求めている物が手に入っていない時、
砂粒でさえメール山(須弥山)のように見える】。

【強烈な欲望のために】。

だが全く対照的に、

【求めていたものが手に入ると、
メール山は砂粒であるかのように見える】}}。

{{【強い欲望が我々を常に貧しくしているため】、

【決して満たされえない浅ましい強欲という、満たすことの不可能な底無しの奈落が】、

我々には全く見えていない}}」

「【無欲が智慧である】。

【二つは別のものではない】。それらは同じである。

【心がいかなる対象物に向かうことも差し控えることである】。

【智慧】とは、【何の対象物も現われないことを意味している】。

言い換えれば、【真我以外の何ものも求めないことが無執着あるいは無欲であり】、

【真我を決して離れないことが智慧である】」

 ―ラマナ マハルシ


「(魔王)ラーヴァナは、【心の中にラーマ(神)とカーマ(欲望)は共存できない】ことを発見した。

{{【規則正しく神の御名を唱え】、

【その御名の価値を絶えず意識する習慣を身につけなさい】。

【そうすれば、たとえ全世界が『悪事を働きなさい』と言っても、あなたはそれを拒否する】。

【あなたの全存在が悪い行いをすることに反逆するようになる】。

また、【たとえ全世界が引き留めようとしても、
あなたは正しい行いをし続けるでだろう】}}」

「{{【グル(霊性の師)】は【死が絶対に避けられないことと】、【地上の存在の儚い性質】を教え子に思い出させる}}。

{{【聖仙ヤーグニャヴァルキヤ(ヤージュニャヴァルキヤ)】は、禁欲生活のために森に入る決心をしたとき自分の二人の妻を目の前に呼び、これまで自分が得た富を二人で分けるようにと提案した。

妻マイトレーイーは、自分の分を受け取る前に、

【その富は自分が真理を悟って不死へと到る助けになるかどうか】を夫に尋ねた。

【それらは邪魔になるだけで助けにはならない】と言われると、

【マイトレーイーはその重荷を負うのを断った】}}。

【少年ナチケータス】は【帝国、裕福な暮らし、長年にわたる健康的な生活という賜物を拒んだ】。

【少年プラフラーダ】は、それと同じ教訓を遊び仲間に教えた。

【仏陀は苦というものの謎を解き明かそうした】。

【執着を手放すこと】が、【仏陀が取り組んだサーダナ(霊的修練の最初の一歩だった】」

「{{【欲望を減らしてシンプルに生きなさい】。

【それが幸福への道である】}}。

【執着は、その結果として悲しみをもたらす】。

{{【最後には、死が全ての物と全ての人を置き去りにするように要求し】、

【あなたは悲嘆に打ちのめされる】}}。

{{【水面で咲く蓮のようになりなさい】。

【水の上にあって、水の中には無い】。

【水は蓮が成長するのに必要だが】、

【一滴たりとも、花を濡らすことを許されることはない】}}」

「この世で【最も貧しい人】とは誰か?

それは、【最も多くの欲を持っている人である】。

【最も富める人は誰か?】

それは、【最も深く満足している人である】」

 ―サティヤ サイババ


別窓 | 珠玉の朝の御言葉メール+α | コメント:0 | ∧top | under∨
| あなたは至福の大海、限りない歓喜 | NEXT